教科書もないような言葉を覚えるのは大変だったと思う。
ウクライナに残された人にもそんな人がいまして、髪も筆もなく、必死に路愛護を勉強したのですって。
収容所、ではなく、別のところで働けることになった時は外にも出られたらしく、
そこで古い新聞を拾ってきては周りのウクライナ人に「これは何という意味か?」って聞きまくったらしい。
効いたって、答えもロシア語でしょ、、、難しいよねーー。
それでも必死になんとか覚えていったらしいのです、すごいよねーー。
その人は、戦争や国に恨みはぁるけど、ウクライナ人に恨みはない、のだそうです。
よほど優しくしてくれたんでしょう。
そこで生きていられたのだから無理もないけど、それにしても優しかったんでしょうねー。
戦争の話できくのはこういう話ばかりだ。
絶対にしてはいけないよね。
今更ながら、ですが、こうして何度でも書かないと、若い戦争を知らない人たち(私も知りませんが)が、
また線背王をおこしてしまうかもしれないのです。
だから、、伝え続けます。